乳がんの原因になる遺伝情報を見つける研究

ヒトゲノム(全遺伝情報)の「解読完了」宣言から16年。今や遺伝子検査サービスを提供する会社が数多く登場し、自分の遺伝情報を知ることはかつてほど難しくはなくなりました。遺伝子検査で病気の発症リスクを事前に知り、予防や治療の選択に生かそうとする人もいます。ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが自分の遺伝子を調べ、乳がんになりやすい遺伝情報をもつことが分かったため、2013年に乳房を切除したことはまだ記憶に新しいでしょう。

ところで、数か月ほど前、理化学研究所などの研究チームが、日本人のデータを調べて乳がんになりやすい遺伝情報を新たに多数見つけたと発表したことはご存じでしょうか。それらの中には、特に日本人の乳がんの原因となる遺伝情報も含まれています。日本人の乳がんに多い遺伝情報とはどういうことなのか。そもそも、遺伝情報から病気のことはどれほど分かるのか。それをどうやって見つけるのか。

日本科学未来館は昨年11月に遺伝子研究者によるトークセッションを行いました。登壇した理化学研究所の桃沢幸秀氏は、まさに日本人データで乳がんに関係する遺伝情報を探した人です。このトークセッションで語られた最新の遺伝子研究について紹介します。

99%以上は同じ配列、わずかな違いが個性に

まずは、遺伝子に関する簡単なおさらいをしよう。私たちは両親から受け継いだ固有の遺伝情報を皆それぞれにもっている。遺伝情報の実体は、細胞内にあるDNAという長いヒモ状の物質であり、そこに並ぶ4種類の塩基(ATGC)30億個の配列によって情報が決まる。この30億個の塩基からなる全遺伝情報を「ゲノム」というが、その配列は99%以上が他者と同じである。しかし、誰もがわずかに他者と配列が異なっている。多くの人では「A」となっている部分が「T」だったり、ある部分の塩基が欠けていたり、ある部分が繰り返し並んでいたりする。このようなゲノム配列の個人差のことを「遺伝子バリアント」という。

遺伝子バリアントは外見や体質などの個性をもたらすが、同時に、病気へのなりやすさや薬の効き方などにも関わる。生まれながらにもつ塩基の並び方が病気につながることもある。ジョリーさんの場合は、ある特定の遺伝子の配列が少し多数派の人たちと違っており、その遺伝子バリアントを持つ人は乳がんになる危険性が約10倍高かった。

30億並んでいる塩基のうち、いったいどの配列が病気のなりやすさにつながるのか。病気に関連する遺伝情報を明らかにする研究が進められている。

病気と遺伝情報の紐付けには膨大なデータ必要

病気に関連する遺伝子バリアントを見つける際には、大勢の遺伝情報を使った“多数決”によって、一つずつ明らかにする手法が最も使われると桃沢氏は説明する。患者の遺伝情報と健康な人のそれを比べて、患者に多くみられる遺伝子バリアントを探し、遺伝情報と病気を紐づけていく素朴な方法だ。しかし、多くの患者にみられる配列を多数決で決めるのは簡単ではない。まず、多数決の結果を「偶然ではない」と言い切るためには、数千~数万人の協力のもとでの統計処理が必要となる。また、ほとんどの疾患で遺伝子が関わっていると考えられているが、それぞれに患者サンプルが数万人分必要となる。さらに、調査対象となる塩基配列は全部で30億あり、すべてを対象とした調査にはかなりの時間とお金がかかる。

一部のいわゆる遺伝病を除いた多くの場合、病気に関係した遺伝子バリアントをもつからと言って100%その病気になるわけでない。もたない人と比べて「かかりやすくなる」といった程度だ。つまり、その遺伝子バリアントをもちながら病気にならない人もいる。このため、多くのケースを調べないと、遺伝子バリアントと病気との紐づけはできないのだという。

このように膨大な作業が必要なわけだが、多くの人の遺伝情報と病気の情報を集めてその関係性を調べる研究が世界的に進められている。日本でも、「オーダーメイド医療実現化プロジェクト(文科省委託事業)」が2003年にスタートし、プロジェクトに同意した患者のDNAと病気の情報を東京大学医科学研究所で保管している。その数は51疾患、約27万人分(2018年5月時点)。そして、集められた情報を理化学研究所が中心となって解析し、新たな知見が得られてきた。

日本人の乳がん原因の遺伝子バリアントを244個発見

桃沢氏らのチームが行った乳がんに関わる遺伝子バリアント探しも、このプロジェクトの1つだ。患者の協力で集まったサンプルのうち、乳がん患者7051人と乳がんではない1万1241人の情報を用いて、11の遺伝子を対象に、乳がんに関連する遺伝子バリアントを探した。

冒頭のジョリーさんの例のように、乳がんに関連する遺伝子はすでに見つかっている。なのに、なぜまた探すのかと思う人もいるだろう。遺伝情報に関しては、人種による違いが多く、日本人の多くで病気の原因となる遺伝子バリアントが、白人ではきわめて珍しいということが実際にある。日本人に多い遺伝子バリアントを探そうとすれば、日本人のデータで調べなくてはならないのだ。

そもそも遺伝子とは、全塩基配列のうち特定の長さをもった領域のことであり、ヒトの遺伝情報の中に約2万か所あるとされる。

この研究では、乳がんとの関連が示されている11遺伝子を対象としており、それぞれの遺伝子のどの位置に塩基配列の違いがあるのかを探し出した。

この情報量での解析は世界でも最大規模で、微量なサンプルを扱うロボットや大量の塩基配列を解読する次世代シーケンサー、得られる膨大なデータを処理するコンピューターなど、まさに最新鋭の機器を使い、多くの分野の専門家が参加する研究となった。

大規模な「多数決調査」により、乳がんに関連する遺伝子バリアントが244個見つかった。これらを特定する際には、多数決の結果だけではなく、タンパク質に起こり得る影響の検討や、コンピューター予測結果との照合も合わせて行っている。注目すべきは、半数以上は世界的にも知られていないものであり、その中には日本人の乳がん患者に特に多くみられる遺伝子バリアントが存在したことである。つまり、遺伝子検査の対象項目に今回発見された遺伝子バリアントも加えることで、これまでよりも正確に日本人の乳がんリスクなどを調べることが可能になる。

発見された遺伝子バリアントのいずれかをもっていれば、必ず乳がんになるということではない。この乳がん関連バリアントをもっていながら健康な人もいれば、もっていなくて乳がんになる人もいる。しかし今回の調査では、244個の乳がん関連バリアントのどれかをもつ人の割合は、乳がんではないグループの0.6%に対して、乳がんの患者グループでは約5.7%と約10倍であった。これら病的バリアントを持つことで乳がんへのなりやすさが10倍ほど高まると推定できる。海外の調査結果ではなく日本人のデータが不可欠

ジョリーさんは、母や叔母を乳がんで早くに亡くしている。だからこそ、遺伝子検査を受け、乳がんとの関連が知られている遺伝子バリアントを保有しているかどうかを調べたわけだ。彼女の場合、「BRCA1」と いう遺伝子に乳がんと関連する病的バリアントが見つかり、乳がんになる確率は87%(通常の女性は8%)と見込まれた。そこで、その時点ではまだがんではない両乳房を切除して、乳がんの確率を5%に下げた。

予防的な乳房切除は日本ではまだ一般的でないが、保険が適用されている国もあり、同様の選択をした女性も数多くいると考えられる。しかし、世界的に行われているこの遺伝子検査も、対象となる「乳がん関連遺伝子」をよく調べて見ると、実は乳がんのリスクをどの程度上げるのか明確ではないものも含まれていると、桃沢氏は指摘する。

そもそも、乳がんに関連するとして世界中で遺伝子検査の対象となっている主な11の遺伝子には、それぞれに病的バリアントが見つかった場合のリスクが見積もられている。

この表によれば、BRCA1遺伝子に病的バリアントをもつ人は、もたない人より約11.4倍乳がんになりやすい。桃沢氏は、BRCA1遺伝子やBRCA2遺伝子については、数多くの研究からリスクが算出されているので、比較的信頼できる数字だという。しかし、11の遺伝子が示すリスクの正確性にはバラつきがあり、十分にリスクの検討がされていない遺伝子(PTEN,STK11)や、偏った調査結果を根拠にリスクが算出された可能性がある遺伝子(TP53,NF1)も含まれている。

そして私たち日本人にとって何より重要なのは、上の表のリスクは、主に海外で行われた調査結果から算出されている点だ。乳がんになるリスクを正確につかむ医療を日本で始めようとするならば、多くの日本人乳がん患者のデータが不可欠なのだ。

「白地図に意味づけする」研究が各国で進む

そもそも乳がんの原因には、生まれつきもっている遺伝情報だけでなく、生活環境も関係しており、患者の多くは環境の影響によって発症していると考えられている。桃沢氏によれば、今回の結果からは主に、生まれつきの遺伝情報が強く影響するタイプの乳がんのリスクと捉えることができ、これは乳がんを発症する女性の5~10%ほどが該当するという。

乳がんのみならず、その他の病気についても遺伝情報と病気の関連が調べられており、今後の成果が期待される。桃沢氏は、これらの研究を「白地図に意味付けをする作業」に例える。国際協力のもとで進められたヒトゲノム解読計画によって、私たちは人間の一般的な30億にも及ぶ塩基配列の情報を得た。桃沢氏の例えに当てはめれば、これは「白地図」を手に入れたようなものだ。現在、この配列は一般に公開され、これを基準に遺伝情報と病気の関連などを調べる研究が各国で進められている。どの遺伝子がどの病気とつながっているのか「意味付け」を行っている最中で、今回の桃沢氏の研究成果もその1つにあたる。

日本人の遺伝情報と病気の関係を調べる研究、世界と協力した大規模な多数決による研究、動物の遺伝情報を用いた成果を人に応用する研究など、遺伝情報と病気を紐づける今後の研究の成果に期待したい。(THE PAGE)

◎日本科学未来館 科学コミュニケーター 宗像恵太(むなかた・けいた)
都内中学校で理科教諭として勤務の後2016年より現職。科学技術の利用を考える教育コンテンツ開発などに従事。専門は理科教育


乳がんの原因になる遺伝情報を見つける研究
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