最後の入院

「ごはんです」

病室にいると、お昼の食事が運ばれてきた。

午後からは、愛猫に会いにお出かけしなければならない。急いで、食べて出かけなければ、そうは思ったが、食事がけっこう美味しかったので、ぜんぶ残さずにペロッと食べてしまった。帰るためのバッグを抱えて、食べ終わった食器のプレートを持って、病室の表に停めてある食事の台車まで行って、台車に食器を戻すと、入院棟の受付に声をかけてから自宅に戻った。

「ただいま!」

愛猫と一緒に、自分が廊下にばらまいてしまった汚物を片づけると、ほかの部屋も片づける。片づけている間に、お風呂が沸きましたと声をかけてくれたので、愛猫と一緒にお風呂に入った。

「ああ、気持ちいい」

愛猫は、身体が濡れるのはきらいなのだが、一緒にお風呂に入り、お風呂の蓋の上で寝転がるのは大好きだった。

「そういえば、今日に退院しても良かったのか」

お風呂の中で、愛猫のお腹を撫でながら、午前中、先生にきょう退院しますかと聞かれたときのことを思いだして、今ごろ気づかされた。そうすれば、今夜からまた愛猫と一緒に寝られたのだ。

「まあ、いいか。あの病院の食事、美味しかったし」

私は、家の用事を済ませながら、ぎりぎりまで愛猫と一緒に過ごしてから、夕食前に病院に病室に戻った。病室に戻ると、なんだか自分のいた病室が騒がしかった。廊下側のベッドに、おじいさんがやって来ていた。昨夜は、4人部屋に1人で泊まったのだが、今夜はもう1人同居人がいるようだ。

「昨日は1人ぼっちだったけど、なんか今夜は賑やかですね」

向かい側の窓側のベッドを片づけていた掃除のおばさんに声をかけた。

「そうね。今日は、ゆっくり出来ないかな」

おばさんは、私に答えた。廊下側のベッドのおじいさん以外に、その向かい側のベッドにも、別のおじいさんがやって来ていた。4人部屋のうち、これで3人分は埋まっていた。

「明日の朝で、退院だそうですよ」

泌尿器科の先生に聞いたのであろう、昨日の若い医師が、今日の仕事上がりの前に私のところに会いに来てくれた。

「おしっこの袋の使い方を教えてもらったら、退院して良いそうです」

私は、その若い医師に答えた。

「おしっこの袋の使い方はわかりましたか?」

「はい。さっき、看護師さんに教えてもらいました」

私は、自分のおしっこ袋の手前に付いた蛇口を見せながら言った。

「普通に、家のトイレに流してもいいですね」

「ええ。中身は、おしっこですから」

若い医師は、私に言った。なるほど、袋の中身は、ただのおしっこだ。おしっこなのだから、普通にトイレに流してしまっても何の問題もない。当たり前のことだったが、なんとなく私は、医師から聞いて感心してしまった。

「こちらにどうぞ」

「ここか、今日は、ここに泊まるのか」

若い医師が帰った後に、車椅子で、何人もの看護師に囲まれて、連れられながら、1人のおじいさんが部屋に入ってきた。そのおじいさんは、私のベッドの向かい側、部屋で唯一空いていたベッドに寝かされていた。

「明日、娘さんも来てくれますからね」

看護師は、おじいさんに伝えて、病室を出ていった。

「夕食です」

食事担当の看護師が、それぞれのベッドにプレートに載った食事を運んできてくれた。私は、ベッドに起き上がって、ベッドテーブルの前に腰かけ、夕食を食べはじめた。ほかの患者さんたちは、お年寄りばかりだし、きっと看護師さんに付き添ってもらいながら食べるんだろうなと思っていた。

しかし、それまでずっとベッドに寝転がったまま過ごしていたおじいさんたちが、食事が運ばれてくると、すぐに起き上がって、食べはじめたのには、正直少し驚いてしまった。中でも、一番最後に、看護師さん何人に囲まれながらやって来た重症患者さんっぽいおじいさんが、一番最初に起き上がって、カサカサとスプーンがプラスチックのお椀に当たる音をたてながら、食事をかきこんでいるのには驚きだった。

「そんなに早く食べたら、身体に悪いよ」

私は、おじいさんの食器のカサカサいう音を聞きながら思った。そして、私は、ちゃんとよく噛んでゆっくり食べるようにしよう、それに、これが病院で食べれる最後の夕食なのだから、しっかり味わって食べなきゃという思いもあった。

「お熱、計らせてくださいね」

食事が終わると、廊下側の向こうのベッドのおじいさんのところに看護師さんがやって来ていた。

「ええ、なに?よく聞こえないよ」

「お熱、計らせてください!」

「え?」

「テレビのイヤホンしているから聞こえないんでしょう!話するときぐらい、テレビのイヤホンは外しましょう!」

そのおじいさんは、看護師に叱られて、罰が悪そうにテレビのイヤホンを自分の耳から外していた。

「もー、まったく!イヤホンしながら、え、聞こえない。聞こえないって、まったくギャグなんだから」

罰が悪そうにイヤホンを外すおじいさんの姿を見ながら、おかっぱ頭の看護師さんは、ニコニコ笑っていた。

しばらくして、今度は窓側の、自分の向かい側のベッドのおじいさんのところに看護師さんがやって来た。

「先生がね、血栓防止のために着圧ストッキングを履きましょうって」

白い着圧ストッキングを履くことで、関節の痛みからくる足の先の血栓を防止してくれるのだとか、おじいさんは、看護師から渡された着圧ストッキングをうまく自分で履けないでいた。

「履けますか?私が履かせましょうか」

看護師に聞かれて、おじいさんは黙って頷くと、看護師がおじいさんから着圧ストッキングを受け取り、おじいさんの足に履かせた。昨夜は、私1人だったので、あまり看護師も病室にやって来なかったが、今夜は入れ替わり、立ち替わりに看護師が病室にやって来る。看護師さんにとっては大変なのだろうが、初入院の私にとっては、なんだか楽しかった。

夜9時、就寝の時間を迎えると、看護師の出入りも無くなり、それまで賑やかだった病室は、うそのように静かになった。

「なんか飲み物でも買ってこよう」

おしっこ袋がぶら下がった点滴スタンドをゴロゴロ転がしながら、1階の自販機に行くと、そこでミルクティーのコップを購入して戻ってきた。途中、談話室で、きのうのピンクのパジャマのおばあさんと出会った。

おばあさんは、私と同じように無言で、静かに点滴スタンドを転がしながら、院内をうろついていた。今夜やって来たおじいさんたちは、看護師さんたちを呼んでお話したり、しゃべっていないときでも、痰が絡むのかゴソゴソといろいろな音がしていたというのに、おばあさんは、私と同じように静かに院内を歩き回っていた。

最後の病院でのお泊まりを楽しもうか

私は、自分の部屋のベッドに戻り、眠りについた。

退院の朝につづく


最後の入院
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