お父さんの愛車

あたしの名前は、今井ゆみ。
中学1年生。東京は東松原に、お父さん、お母さん、それに2つ上の姉の祥恵と暮らしている。

姉は中学1年生。
あたしも中学1年生。そう、あたしは本来、年齢的には小学5年生なのだが、飛び級で2年進級を飛びこえて、今年から姉と同じ中学1年生になったのだった。

日本では、飛び級という制度は珍しいかもしれないが、アメリカでは普通で、勉強が良かったりすると、当たり前のように飛び級で進級されることがあった。

あたしと姉の通う武蔵野の学校では、アメリカ式の教育方針を取り込んでいて、飛び級も普通に導入されていた。そのおかげで、あたしは、小さい頃から大好きな姉と同じ学年、同じクラスになれたのだった。

うちの学校は、小等部、中等部、高等部まで在って、小等部は1年~6年生、中等部は7~9年生、高等部は10~12年生となっていた。学年の名称も、アメリカ式の7thgrade(セブンスグレード)に習って、中学1年生ではなく、7年生だった。

うちの自宅は、東京は東松原の一戸建てだ。
東松原というのは、渋谷から吉祥寺までを結んでいる京王井の頭線のちょうど中間辺り、明大前駅より渋谷へ1つ手前の駅だ。急行も停まらない、各駅停車しか停まらない駅なので、あまり知っている人は少ないだろう。

東松原の駅前商店街を通り抜けた先の、少し行ったところに在る戸建て住宅だ。お父さんのお父さん、つまり、あたしのおじいちゃんが住んでいた家だそうだ。1階にリビング、ダイニングとかバスルーム、それにクリニックが在って、2階にお父さんたち両親の寝室と姉とあたしの寝室が在った。

あたしのお父さんとお母さんは、慶応の医学部を卒業し、2人とも医師免許も持っている歯科医師だ。だから、お父さんは、実家であったこの土地に自宅以外に歯科クリニックも開業したのであった。クリニックは、歯科医師であるお父さんと歯科衛生士が3名で勤務していた。お母さんは、たまに忙しかったり、近所のお母さんの友人が診察に来たときだけ、歯科医師として診察をしていた。それ以外は、あたしたちの子育てに専念してくれていた。

お父さんのクリニックは、お世辞にも流行っているという感じではなかった。

駅前の岡部歯科のように、もっと東松原駅のすぐ近く、駅前の商店街の中にでも在れば、もっと流行っていたのかもしれないが、商店街を通り抜けた先にポツンとあるお父さんのクリニックでは、それも期待できそうもなかった。でも、当のお父さんは、流行ってしまったら仕事が忙しくなって、ほかのことが出来なくなると、さほど気にしている様子もなかった。

「ほら、車を買い換えちゃったぞ!」

お父さんは、あたしたち家族を、庭に在る駐車場に呼んで、買ったばかりの新車を見せつけて自慢していた。それは中型のキャンピングカーだった。

「前のベンツはどうしたの?」

歯医者というのは、大概はベンツに乗っている。あなたの周りにいる歯医者も、大概はベンツに乗っているから、今度よく確認してみると良い。そんな歯医者のご多分に漏れず 、うちのお父さんも、お母さんには絶対に運転できないような大型のベンツに乗っていた。

「こんな車で、買い物とか行くとき、どうするのよ?」

お母さんは、お父さんに聞いた。

「普段のお買い物は、お母さんの車があるだろう」

お父さんは、隣の駐車場に停まっているお母さんの小さなトヨタ車を指さしながら答えた。中を案内してやるとか言いながら、お父さんは、あたしたち家族を買ったばかりのキャンピングカーの車内に招き入れた。

お父さんのキャンピングカーは、かなり広かった。
外観の見た目の割には、車内は広く、機能的に生活空間が備えられていた。先頭は、お父さんの運転席と助手席、2列目には4人が2人ずつ向かい合って座って食事ができるテーブルがあった。その横がキャビンへの出入り口になっていて、そこから入るとテーブルの向かい側に冷蔵庫やガスなどが完備したミニキッチンが在った。最後部には右側に洋服などを入れられる小さなクローゼットも完備した車幅いっぱいまで利用したフラットなベッドルームが在った。ベッドルームとダイニングの間には、狭いが、一応手洗い用のシンクも付いたトイレルームが在った。

「シャワーだって付いているんだぞ」

お父さんは、シンクの蛇口を引っ張り上げると、あたしの髪をごちゃごちゃと洗うような手つきしながら、シャワーの先を、あたしの頭の上にあてて見せた。

「ここで暮らせそう」

あたしの言葉に、お父さんは満足そうに笑顔でニコニコしていた。

「でも、なんか狭いよ」

お姉ちゃんは、つぶやいたが、このお父さんの家族にも内緒での、突然のベンツからキャンピングカーへの買い換えが、この後、人類に襲いかかってくる地球規模の不幸から、今井家の家族みなを救ってくれることとなるのであった。